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模型のページ

模型とは本来、作成過程も楽しみの重要な要素なのだが、
近年完成品が売ってあるとはいかがなものか。
といいつつ、年々未製作でお蔵入りするのが増えている現状で文句は言えないしw

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日本海軍二等巡洋艦「橋立・厳島」

 

 

シールズモデル 1/700

ペリーの黒船がトラウマになってしまった日本。太平の眠りから覚めてみれば、虎視眈々と日本を狙う欧米の列強たち。必要以上の被害妄想にとりつかれた日本は、「たった3隻に勝てなかったのに、全力で来られたらどうするべ?」と富国強兵まっしぐら。とりあえず怖いのはロシア。不凍港に対するロシアの飽くなき欲望は、当時の日本を恐怖のどん底にたたき込んだ。こうなったら、波打ち際で迎え撃つのは危険だ。ロシアの誇る世界最強陸軍を、大陸または半島で阻止しようということになった。いろいろあって(約600ページ割愛)、清と戦うことに。地球の東端にある小さな島の原住民たちが、列強でさえ一目置いてビビリながらちょっかい出している清に刃向かった!!虐殺キタこれ!!と。

のんきに観戦気取っている列強になんか構っていられない日本は、完全マジモード。負けたら殺される!!・・・卑弥呼の周りで和気藹々と歴史を紡いでいた頃、かの国は三国志時代。スケールが違う、知恵が違う。日本本気出さないとヤヴァイしw

ここで重要になってくるのが海軍。大陸で戦う陸軍は、「陸での戦いなら、こちらに利あり!!」と、訳の分からない根拠のない自信でお気楽入ってたが、その補給は全て日本から運ぶしかないではないか!!なんということだ!!・・仕方ないよ、本格的な海外侵攻は初めてだしね。補給の困難さと言っても、運ぶこと自体は問題ない。大陸や半島との貿易経験豊富な商人たち、一杯いたし。問題はその護衛。もうさすがに帆船の時代ではないが、日本の海軍なんて沿岸警備隊に過ぎない。それが「定遠」「鎮遠」を有する清国海軍とガチ勝負。清は、もし海軍負けても戦っているのが自分の庭だから、陸軍の戦闘に支障はなし。日本は海軍負けたら、補給不可能・・・陸軍先細りの全滅。だから、戦争の勝敗に直接影響しない(最終的に戦争を終わらせるのは、いつの時代も陸軍)海軍でも、おろそかにできない。(・・・この段階では、「補給の枯渇=敗北」と正常に認識していたのな、日本。いつの間にかこれを忘れ、「食料のみならず武器弾薬までも現地調達!!」「物量に勝る精神力!!」という風潮になった太平洋戦争・・・兵隊さんたちあまりにもかわいそう。ね?れんやさん?)

さて、本格的な外洋戦闘艦造ったことも運用したこともない日本は、列強に頼る。イギリスに「吉野」を発注。これは良い。さすが大英帝国だけあって、質実剛健の良艦。

だが、この艦では不安がある。「定遠」「鎮遠」は30cm砲(以後注:本当はこれに「口径(砲身長)」をつけるのが正式なんだけど、煩雑になるので口径(直径)のみ記述するね)4門搭載。普通戦闘艦は、自艦自身の攻撃に耐えられるように造られるので、「定遠」「鎮遠」を沈めるには最低でも30cm砲が必要。吉野は15cm砲4門、12cm砲8門・・・「定遠」「鎮遠」に対して無力。

これではだめだということで、「もっとでかい大砲積んだ船キボンヌ(←懐かしス)」したところ、英国は「予算的に無理。納期的にも無理。運用的にも(今の日本じゃ)無理。」と相手にしてくれない。そこへ救世主の如く現れた仏国のエミール・ベルダン。「うちならば、30cmなんてケチなこと言わないで、32cm積んだ船、造るアルヨ。」と。艦の全長は「吉野」の110mより短い90m、なのに32cm砲4門搭載!!まさにマジック!まさにおフランスマジック!!さて、その秘密は!?

「全長90mの小柄な船体に、32cm砲を1門だけ積む。その艦を4艦建造する。」と。おお!!コロンブス!!

で、仏国ベルタンの口車に乗せられた日本は、虎の子の予算をはき出して建造を依頼。とりあえず、前担当艦2隻と後担当艦1隻ができあがる(竣工)。前担当艦は32cm砲が前を向いている。「橋立」と「厳島」。後担当艦は32cm砲が後ろを向いている。「松島」。後もう1隻後担当艦が造られ、めでたく「前2門、後2門の32cm砲搭載艦(艦隊)」が完成するはずだったが、なぜか後担当艦1隻はキャンセルされた。なにはともあれ、対「定遠」「鎮遠」の最終兵器も揃った。決戦だ!!

結論。役に立たなかった。全長90mって、今の護衛艦より小さい。太平洋戦争当時の駆逐艦と同じ程度の大きさ(幅は広い)。こんな小艦に32cm砲を積んだ・・・無謀だ。保育園児にデザートイーグル撃たせるようなものだ。実際、艦が小さすぎて波の影響を受けすぎて照準が定まらず、全然当たらない。撃つと反動と衝撃がすごすぎて艦の揺動が止まらず、次弾が撃てない。ローラースケートはいてバッターボックスに立った王貞治?ママさんサンダルはいてプレーするマイケルジョーダン?・・・そんな感じ。

結局、日清戦争の海軍決戦となった黄海海戦で、32cm砲は全く役に立たず、速度も遅く(16ノット)て、とても価格分の働きをしなかった。逆に吉野は、20ノットの俊足を活かし、吉野に準じる「高速、小口径だけど速射砲多数」の巡洋艦らと共に、清国海軍(北洋艦隊)を撃破する(その後の威海衛攻撃で決着)。

実は、艦建造途中の段階で、この三景艦の「役立たずぶり」が日本は分かっていたのではないだろうか。そうでなければ(4隻発注するつもりがあったのならば)、「三景」の名前はつけないでしょう。4隻目の名前、どうするつもりだったわけ?w 公式には「4隻目が搭載する砲に問題があった」と言うが、それ、キャンセルのための方便でしょ?「1セット4隻建造予定の3艦に三景(厳島、橋立、松島)の名前つける」か?常識で考えれば分かるでしょう。

以後、仏国という国は、日本の鬼門となる(当社比)。

 

 



ケースメイト式の砲郭が時代を感じさせる。帆船時代の名残だ。


 

この船体の大きさで、この砲。この時代の海戦は、砲を横へ向けて撃つのが一般的なので、こんな幅の狭い艦で32cmの巨峰を撃ったら・・・。素人の後知恵でなくても、まともに狙えない、まともに撃てないと思うがどうだろうか。

接写すると、糸くずがスゴイ。作ってから約3年放置。ケースにも入れてなかったし。

素で組み立てただけ。つか、それ以上できないしw


現代の戦闘艦と比較。奥からType42級駆逐艦バッチ3マンチェスター、オリバーハザードペリー・フリゲート。橋立の小ささが分かる。この船体に32cm砲ってw