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2006年5月01日

エピソード12:番外1-PowerBook2400C/180


自宅に設置しているサーバのファイルを整理していたら、PowerBook2400CをG3化したときの写真データが出てきたので、掲載する。上の写真は、G3カードが到着したその日に、衝動的に2400を分解したときの写真だ。

まず最初に、PowerBook2400Cというノートパソについて語らねばなるまい。このノートは、当時サブノートというカテゴリを持たなかったAppleが、その手の小型ノートのノウハウを豊富に持つIBMに設計と製造を依頼した、「社外品Macintosh」である。しかも、このノートが発売されたのは「日本市場だけ」、まさに「日本限定Macintosh」だった。今では考えられない状況だ。

 

当時のAppleにはA4ノートしかなく、B5サイズのサブノートはなかった。「そのような小型マシンは扱いにくく(タイプしにくい)、ニーズが存在しない」というAppleの主張であったが、俺は「正直に小型マシンを作るノウハウがありません!と言えよw」と思っていた。真実は分からない。が、Appleに「小型ノートがなかった」ことは事実だ。

さて、このマシン、ThinkPad230などで経験豊富なIBMが手がけただけあって、そこここにThinkPad「らしさ」が残っている。キートップは3/8サイズで、IBMサブノートのキートップそのままだ。小さいながら、キー上面の面積はギリギリまで確保し、キー感覚以外に違和感はない。また、矢印キーはパームレストにまで食い込ませてでも、大きさを確保している。

IBMが手がけたといっても、ThinkPadを改造してMacintoshにしたわけではなく、完全な「新設計」だ。このマシンに対するAppleのこだわりは尋常ではない。上の写真の黄色矢印の部分は、メクラ蓋を外すと現れるネジ部分だが、外部からアクセスできるネジは「この2本だけ」だ。マシン裏面にも側面にも、一切「ネジがない」。これぞAppleデザインである。ちなみに、赤矢印は俺が生まれて初めて買ったノートであるIBMのThinkPad230CS2を買ったときのおまけで、アルミ製のネームプレートだ。俺とかみさん(オーナーとスポンサーw)の名前が刻まれている。こういった心遣いをIBMは忘れない。このプレートは、代々の俺のノートパソコンに受け継がれている。

 

さて、分解のための唯一のネジである2本を外すと、このような状態になる。ここからパズルのように分解していく。

 

パームレストを外したところである。最小限のネジ以外、全て構成部品をパズルのように組み合わせてある。IBMは天才である。

 

キーボードを外したところである。手で持っている部分がキーボードで、裏側を見ていることになる。

 

メイン部分を外したところである。何とこのマシン、マザーボードは3段重ねになっている。当時の技術では、左右に制限があったら、上下へ重ねるしかなかったのだろう。右側にある小さい基盤がCPUボードである。

 

左が純正の603eボード、右がG3ボード。8マソぐらいしたと思う。当時のアップグレードCPUボードとしては安い方だった。

 

バラバラ状態。液晶は10.5インチのSVGAだった。当時はまだVGAが主流だったから、SVGAでも驚異的な広さに感じられた。画面右上の端に、PowerBook550Cが写っている。値段は550Cが約60マソ、2400Cが48マソだった。これに比べればMBPの約38マソは格安に思えてしまう。

 

当時所属していたMacintoshユーザーグループのメンバーたちと。左端が俺(まだ細身)、その右が俺のMacintosh師匠。自宅で自分一人で分解、CPU交換、組み立てを果たした2400だったが、この会合で再度バラすことになった。師匠が「中に小人が閉じこめられているかも知れない。救出する!」と言いだしたからだ。小人はいなかったが、組み立て後にネジが3本余ってしまった。orz

 

2段目のCPUボードを組み付けた後、3段目のIOボードを組み付ける。よくぞこれだけ複雑な構造にできたものだと感心したものだ。

 

IBMとAppleが妥協無しで「その当時に出来る最高のモノを」追求した結晶がこのマシンだった。フロッピードライブは内蔵できなかったので、外付けだったが、ドライブのふたを開けるとそれがスタンドになったりして、両社のこだわりがビシビシと感じられた。後日談であるが、このフロッピードライブは当然ThinkPadと同等品であり、ThinkPad600Eを買ったときに立派に使えて感動したものだ。手動イジェクトボタンがないので、非常イジェクト機能を使ったがw

CDドライブは付属しない。社外品の外付けドライブをSCSIのPCカードで接続して使う形式だった。LANポートもなく、これまたPCカード経由だった。このあたりはIBM形式だ。

PowerBookG3を手に入れた後、CDドライブもないこのマシンは使い道が無く、ちょうど金が必要だったこともあり、オクで売った。18マソで売れた。上位機種のPowerBook3400でさえ12マソ相場だったから、かなり高額取引できた。日本市場限定ということで、「レア高額Macintosh」の部類だった。同時に売ったPowerBook550Cは、8マソだった。これまた、年式を考えれば破格の高額だった。「日本市場限定」はそれなりの価値がある。これらの金は、全て新規購入したレガシイB4の改造費用へと消えていった。今では売ってしまったことを少々後悔している。

迷走していたJobs復帰以前のAppleだが、「日本市場限定」とか「IBMとコラボ」などファンキーでジャンキーな会社であった。その訳の分からない方針が、やがて自社に壊滅的打撃を与えることになったようだが、楽しい会社だった、Jobs復帰以前のAppleは。何をするか分からない、ドキドキがあった。たまにはこうした「不良っぽさ」も今のAppleに望みたい。(BootCampの発表は、久々のドキドキであった。うれしかった。)