ねこのページ

オマエら、ぬこたんを軽く見ない方がいいぞ。ぬこたんはオマエらを軽く見てるぞ。

TOPへ戻ってよろしいか → 決裁  メニューへ戻ってもよろしいですかそうですか


 

2006年3月5日

エピソード22:二匹が一匹に


俺が大学3年生の時、親父が入院した。
目の病気で、田舎の病院では治療は無理で、県庁所在地の病院へ入院した。

姉は既に結婚して隣の県にいたし、俺は大学生で独り住まい。
父の付き添いで母も病院近くの実家に泊まり込むことになったから、家には誰もいないことになる。
しかたなく、ペル(次男、完璧黒、普通の猫)とネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)も、母の実家へ。

が、母の実家ではヌコ様をお迎えした経験が無く、すったもんだがあって、結局二匹には家の外にある倉庫で暮らしてもらうことになった。

俺も同じ県庁所在地で下宿してたので、ちょくちょく様子を見に行った。
父親の様子ではなく、ヌコ様の様子である(冷たい息子)。
二匹とも俺の顔を見ると喜んで、ミャーミャーいいながらすり寄ってくる。
母は父の付き添いで滅多に二匹に会えなかったし、二匹は見知らぬ場所で外へも出してもらえず、心細かったに違いない。

小屋から外へ出すことに関しては、母と俺の間で意見が分かれた。
俺は「ヌコ様は馬鹿じゃないから、この倉庫へ帰ってくればごはんと安全な寝床があることは理解できる。積極的に外へ出してやるべきだ!」と主張した。
母は「見知らぬ土地で迷子になって帰れなくなる。飼い猫だから野良では生きていけない。あと1ヶ月の辛抱だから、外へ出すべきではない!」と主張した。
父親に対しては嫌悪感丸出しだった俺も、母親を軽蔑したことは一度もない。
結局は母の主張を受け入れ、ヌコ様たちに「あとちょっとの辛抱だからな」と説得する側に回った。

父の手術は幸いにも成功し、父は回復していった(ちょっと残念だと思った俺もいたが)。
大学の勉強が忙しくなり(というのはウソで本当は彼女関係で揉めていた)、ヌコ様の仮住まいから足が遠のいた。
で、隊員の日。いや退院の日。

俺が車で病院まで父と母を迎えに行き、母の実家へ送った。
母の実家へ到着した俺は、とるものもとりあえずヌコ様に会いに行く。
ミャーミャーと、ぬこ様流のうれし泣きに迎えられた俺だが、一匹しかいない。
ペル(次男、完璧黒、普通の猫)だけだ。
ネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児) がいない。
小屋中を探したが、 ネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)の姿無し。

急いで母屋へ行き、叔父に訊いてみる・・・「?知らない。」
叔母に訊いてみる・・・「ああ、外へ出たがっていたから出してやったよ」と。
「いつ頃?」と俺。
「??1週間くらい前かなぁ」と叔母。
凍り付く俺。

1週間帰ってこないということは・・・間違いなく迷子だ、見知らぬ土地で。

それを聞いていた母が叔母に詰め寄る。
「どうして外に出したんですか!」と母。
「だってぇ、五月蝿いから。」と澄ました顔で叔母。
「毎日毎日ニャンニャンと。近所迷惑だし。」と叔母は「当然でしょ!文句あるの!?」という表情。
あっけにとられる俺を尻目に、母が吠えた。
「あれだけ外へは出さないでと頼んだでしょう!!迷子になって帰れないのが分かってるでしょう!!約束が違う!!」と。
あれだけ吠えた母を見たのは久しぶりだった。
大学生になって成人した俺でも怖かった。

叔母も負けず、「だいたい、入院の世話だけでも大変なのに、猫まで押しつけられて、こっちはいい迷惑!」と来た。
「入院の世話っていっても、アンタが手伝いや見舞いに来たのは1回きりでしょ!!1ヶ月以上入院してて、病院にアンタが来たのは1回だけでしょ!?」と母も負けない。
「猫のご飯代だって馬鹿にならないのに!本当に恩知らずな話だわ!」と叔母。
「そのために兄さん(叔父)に猫の食事代で2万円渡したでしょ!!」と母。
叔母はびっくりして「そんな話知らない。おとうさん!!」と叔父を呼びに行く。

叔父が叔母に連行されて来た。
「おとうさん、猫の食事代もらったってどういうこと?」と叔母。
「???(とぼけた表情)」と叔父。
「渡したでしょ!!兄さん!!」と母、同時に「俺もその場にいましたから。おじさん受け取りましたよね!?」と俺。
「そうだったかな?まぁ、いいじゃないか。済んだことだし。」と叔父。

さすがに叔母は恐縮し始め、「しらなかったから。ごめんなさい。猫押しつけられてなんて非常識なんでしょうと思ってたけど、お金をもらってたなんて知らなかった。」と反省の言葉を口にし出す。
その言葉に俺はカチンと来た。
「金もらわなかったら、ヌコ様はゴミ扱いかよ!?」と。
が、後々従兄弟(その叔父と叔母の子)から事情を聞いて納得した。
お金をもらったから猫に誠意を尽くすということではなく、「お金を払ってでも世話をしてもらいたかった・・・単なるペットではなく、うちの家庭にとっては家族扱いの猫たちであった」ということが叔母には理解できたということだった。
金銭に対して強欲という意味ではなかったらしい。

何はともあれ、いかに二匹が粗雑に扱われたか想像がつく話で、俺も彼女のことなんかにうつつを抜かして会いに来なかったことを後悔した。
母は、3日ごとに実家へ帰ってきていたのに、ここ1週間以上は疲れてしまい、二匹の様子も見に行かなかった・・・自分がきちんと世話をすべきだったと自分を責めていた。

結局、ネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)は帰ってこなかった。
退院の翌日、母と父とペル(次男、完璧黒、普通の猫)だけが家へ帰った。
その後1ヶ月はほぼ毎日、俺は母の実家の近くへ行って(下宿から車で1時間程度)、 ネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)探しをした。
大声で「ネコジ!ネコジ!」と呼びながら徘徊する俺は、現代だったら不審者として通報、捕縛されていたと思う。
近所の人たちも哀れに思ったらしく、事情を聞いてくれ、協力してくれた。
叔母も罪悪感があったようで、近所の連絡網を利用して探してくれた。
1ヶ月も経つと、周囲の反応も醒め始め、俺も段々足が遠のき、3ヶ月ほどで探しに行かなくなった。
結局、 ネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)は見つからなかった。

姉は「 ネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)が夢に現れて、『助けて!』『お腹がすいたよぉー』『寒いよぉー』『おうちへ帰りたいよぉー』と泣いていた」と何回も電話をかけてきた。
「オマエが毎日見に行かないから悪いんだ!」と叱られた・・・その通りだから言い返せなかった。

だが、俺にはネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)が「哀れな末路」を迎えたであろうという気がしない。
ネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)は家にいるときでも、しょっちゅう帰ってこないときがあった。
最長で一月近くも、家を空けたこともあった。
傷だらけで帰ってくるネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)は、小さい身体で普段は少食であるにも拘わらず、 必死でガツガツと食っていた。
その後、死んだように長い間眠っていた。
また起きて食って寝て・・・数日経つと、またいなくなった。
ネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)にとって我が家は「家」ではなくて「補給基地」であり「避難所」「病院・リハビリセンター」に過ぎなかったのだろうと思う。
俺になついて俺もかわいがったが、「俺」なんていう存在はネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)にとって取るに足らない小さいもので、ヤツは常に外の世界で「闘って」生きていたのだ。
「家」なんていう小さいものに縛られるような小さな器ではなかった。

ネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)はきっと母の実家の倉庫から出たときに、既に「基地、避難所、病院・リハビリセンター」を捨てる決意だったと思う。
帰るところが無くても、ネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)は堂々と闘っていけたのだと思う。
そして実際、ヤツは出ていったし、帰ってこなかった。

きっと何処かで闘いに敗れ、傷ついた身体で誰にも見つからないところまで這っていき、誰にも看取られることなく孤独に死んでいったのだろう。
飼い猫としては哀れな末路だ。
だがネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)は決して飼い猫ではなかった。
飼い猫などという小さな器に収まるような猫ではなかった。
戦士として生き、戦士として逝った。
立派な末路だ。
ネコジ(四男チビ、白いパンツ黒猫、ニヒルな天才児)は満足して逝った、俺はそう確信している。

 

次回は「そして誰もいなくなった」を予定しています。