なんでも、最近の情報で、某国営放送局が「坂の上の雲」をドラマで放送する予定のようです。日露戦争は近代日本の重要な転換点に当たる非常に重要な出来事だったと思います。自分のコレクションを虫干ししたついでに撮影してみました。「坂の上の雲」と三十年式騎兵銃がどう関係があるか?ですが、主人公の海軍の秋山真之参謀は日本海海戦で一躍有名です。その一方、兄の秋山好古が日本騎兵部隊を日露戦争で非常に上手く活用したというわけで、その部隊が装備していた騎兵銃、と言うことです。前置きが長いですね。
三十年式小銃(歩兵銃)に関しては、さまざまな文献やHPで取り上げられており、特に、「武器庫」さんではとてもきれいな銃が掲載されています。ですが、騎兵銃となると残存数があまり多くないようです。三八式騎兵銃をお持ちの方は比較しながら見てもらえると構造の違いが分ると思います。
では、まず全体像からです。非常に独特な形状をしています。特にストックの下側のライン。ここが丸く膨らんでいます。そして、ハンドガードがありません。ですので、リヤバンドも三十年式騎兵銃独特の形状です。
レシーバーは後の三八に多大な影響を与えていますが、サイズ、形状はかなり違うことが分ります。ガス抜き穴は村田銃時代からの伝統の二つ穴。三十年式から大きな菊の紋章が打たれています。ボルトの構造が三八式と大きく異なり、エキストラクターが小さく、先端に装着されているため、ボルトを閉鎖して溶接してある無可動銃では見ることができません。三八式でエキストラクターが欠損している銃をみると少々間が抜けて見えますが、この銃はこれが正解です。ボルトハンドルの先端は球状で、後端のフック状のものが安全装置(上にしてON)です。シリアルナンバーは念のため画像処理にて消させていただきました(No.無しの試作品ではありません)。
リヤサイトは非常に小型です。この銃(個体)もそうだったのですが、現存する三十年式騎兵銃の多くが不思議と、遊表(上下に動く部分)が欠如しています。私はこれまでに6丁ほど見てきましたが、付いているものはありませんでした。では、なぜこの銃には付いているのか?故六戸部さんにこの銃を見せたところ、「作ってあげるよ」の一言で、製作していただきました。完全に一品物ですね。良くできています。オリジナル?と言っても良いくらいです。
下側に目を向けると、トリガーガードも独特の形状をしています。三八式に受け継がれる部分が多くあることが分ります。
次にフロントサイトに目を向けると、ガードつきのかなりしっかりした作りです。クリーニングロッドは三八式騎兵銃用のものが装着されているようです。また、初期の三十年式騎兵銃にはフロントバンドの着剣ラグはなかったようですが、後にラグつきに換えられたようです。しかも、歩兵銃用を転用したわけではなく、別にちゃんと作ったようです。歩兵用とではサイズに違いがあります。
それにしても、今から100年以上前に製作された銃ですが、各部はしっかりとそして丁寧に加工されています。部品ごとに仕上げが異なり、当時の職人気質を感じます。リヤサイトリーフスプリングとボルトリリースはストローフィニッシュで、レシーバーと銃身がブルーイング(黒染めではない)、ボルトは白磨きなどです。また、無可動銃に加工されていますが、このオリジナルの状態を保ったまま保存されていたと感心するばかりです。
この銃を担ぎ、満州の平原でロシア騎兵と激戦を繰り広げた日本軍騎兵達のことに、思いを馳せずにはいられません。今でこそ、偵察は人工衛星や航空機が中心ですが、日露戦争当時は地上軍の作戦に必要な情報は騎兵によって偵察されていました。つまり、彼らが情報を持ってこないと主力が動けなかったわけです。軍の、「目」になっていたわけです。そして、彼らの存在が無くては、日露戦争のきわどい勝利(?)はありえず、現在の日本が存在したか分らないのです。