その後も、いくつかのチームに誘っていただき、体験させてもらった。一様に同じ傾向だった。フルオートでパワーがあって弾数が多い・・・これを追求していくと、別にエアガンでなくてもよい訳で、実際、M16のバットストックを外している人もいた。実銃ではあり得ない。リコイルバッファが入った筒があるため、M16系の銃からバットストックを完全に外すことは不可能だ。が、そういったことには無頓着。さらに、「反動のないエアガンにストックは不要」と。確かにそうだけど、じゃぁ、やっぱ、GUNである必要はないよね。
今でも2ちゃんねるなんかで「リアル弾数派」と「多弾数派」が議論してたりするけど、どこまでリアルさを追求し、どこから妥協するか、難しいと思う。というか、「反動ない」「弾に威力ない(実銃比)」模造ガンの場合、サブマシンガンとライフルの射程の違いが大して無いという事態も起きてしまい、「何故その銃がその形をしているのか」と、模造銃の存在意義さえ疑問対象になってしまう。外見はホンモノによく似ていてリアルなのだが、その銃の特性は活かされない。
こうしたトイガンの持つ現実・・・「所詮はおもちゃ」という点が、サバゲを行っていると実感されてくる。
俺は何故この趣味を続けているのか?銃が好きだからだ。
何故銃が好きなのか?好き嫌いに理由など無い。
銃の何が好きなのか?形とかメカニズムとか背景とか。
トイガンであっても、撃てば楽しい。威力など無くても、狙ったところへ弾が飛んでいけば嬉しい。でもそれ以上に、その銃の誕生や、活躍した時期の歴史的背景などを、実物とほぼ同じ形をしたトイガンを手にすれば、より身近に感じることができるし、映画の1シーンの中へも入っていける。
サバゲで「実際に闘いという緊張感の中で」銃を手にした感想は、「滅茶苦茶楽しかった」。部屋でトイガンを手にして、脳内で戦場を再現するよりも、遙かに楽しかった。やられるかもしれないという「緊張感」と、敵を仕留めたときの「達成感」は、絶対に部屋の中では得られないものであった。また、俺が体験したチームの人たちに、悪人はいなかった。だから俺は、サバゲーを否定しない。
が、同時に、サバゲーやってると、上に書いたようなトイガンの矛盾点を目の当たりにさせられる「お前の手にしているのは、おもちゃだ!」という事実を突きつけられる。俺はKar98kで戦いたい。今なら三八式歩兵銃で戦いたい。確かにボルトアクションの優遇措置(救済措置)があるチームでもやってみたけど、BVや(当時登場し始めた)電動の方が断然有利。しかも、ボルトアクションの優位性・・・長射程の精密射撃の優位性など皆無。UZIですら、パワーアップの改造がして無くても、バレル周りのチューニングだけで、ボルトアクションの長ものと大して変わらない射程。2発目以降の修正射を考えると、ボルトアクションの意義は無し。
ボルトアクションなんて、一部のスナイパー品質で、射手の腕が良くない限り、実銃でも同じ状況なのは理解できる。だから、ボルトアクションで「不利だからイヤだ」と言っているのではない。・・・銃の選別の意味が感じられない、そこがイヤになる原因だ。
銃の形は、全て機能的な意味がある。基本的に、見た目のためだけのデザインはあり得ない(エングローブとか刻印とかは除外)。が、トイガンにはそうした必然性はない。実銃の模倣だから、あの形になっているだけ。だから、日本車と同じだ。エンジンとボディを別々の部門で作成し、合体させる。だから俺的には好きじゃない。俺にとっての車とは、「エンジンを主人としたパワープラント(駆動系含む)に俺、これだけの世界」だ。エンジンを総合デザインの中心において、ボディ等の最終決定は、全てエンジンが中心に行われる・・このような車が「俺的には」最高だ。だから俺はホンダが好きだし、フェラーリやポルシェが好きだ。これらの会社の根本には、「エンジンありき」という思想が流れている。別に、「人間を快適に遠くへ運ぶ、安全なボディ」を中心に設計されている、現在主流の車を俺は否定しない。俺も日常的にはこんな車に乗りたい。が、趣味という観点から見ると、こんな車は「クソ」だ。ケイターハム(ロータス)のSuper7、この車が俺にとっての究極の車だ。人間様よりもエンジンの方が優先されて搭載されている。まさに、走るためだけに生まれた車だ。
だから俺は、「ホンモノに似せたボディ」と「汎用的なパワープラント」という組み合わせのトイガンの側面が大嫌いだ。トイガンとは言え、銃である以上、エンジン部分・・・パワープラントが設計の中心に欲しい。が、それは無理であるし、意味もない。それはよく理解している。・・・だから、サバゲーをしたくない。トイガンのそうした生まれ持った宿命部分を、有無を言わさず直視させられるから。
どうせ趣味なんだから、「幻想の世界」に浸れる「コレクション」「室内」の方が、いくら緊張感や達成感が得られなくても、俺は好きだ。サバゲーで現実を見せつけられ続けて、銃そのものを「これはホンモノだ」と「脳内変換」できなくなってしまうのはイヤだ。